About us
アニマルズアジア サポートグループジャパンとは、日本においてアニマルズアジア(Animals Asia)の活動を支援・情報発信するグループです。
アニマルズアジアの承認を得て、2015年秋に設立しました。
※メンバーは会員制・登録制ではございません。
代表者 ごあいさつ
アニマルズアジア サポートグループジャパン、ホームページにご訪問くださりありがとうございます。代表のBeckyです。
このページでは、私がこの活動に関わったきっかけについて、お話させていただきます。
私は、2011年に、乳がんを経験しました。決して早期発見ではなく、肺に転移ありのステージ4と診断されました。過酷な抗がん剤治療と絶望のなかで、ある雑誌の記事を目にしました。
それは、中国の熊の胆汁農場と呼ばれているところで、狭い檻に閉じ込められ、体に管を通され、鉄ベルトをはめられて寝返りも打てずに一生の間、何年も胆汁を絞り取られている熊の記事でした。
その後、私の胸のがんは、抗がん剤によって画像上から消えました。けれども肺のがんが消えず、良性の可能性をかけて、肺の腫瘍の摘出手術をしました。幸いにも、取り出した肺の腫瘍は、良性でした。
しかし肺の腫瘍の摘出手術は、とても大変でした。手術のあと、集中治療室で体に管を通され、全く身動きが取れなかったときに、私は記事で見た熊たちのことを考えました。私は、次の日の朝になったら管が取れて、起き上がることができるけど、あの中国の熊たちは、一生、何年もこのままなんだ。私は朝になるまでの数時間、指折り祈っていたけれど、熊たちは、痛く苦しい時間は、終わりがないんだ。そう考えたら、胸が張り裂けそうでした。その思いは、今も変わりません。
ステージ4の絶望から、無事に手術を終えたことに至るまでの、家族、友達、お医者様たち、本などで知ることのできた、困難を乗り越えてきた先人たちには、感謝でいっぱいです。
その後、もともと胸の腫瘍があった場所の手術も無事に行うことができて、現在では、再発転移なく家族や友人たちとともに、感謝の日々を過ごしています。
集中治療室で、体に管が通った痛みの時から、漠然と考えていました。当時は、自分がどのくらい生きることができるのか、不安でいっぱいでしたが、もし、この試練を乗り越えて生きることができたら、私は一生をかけて、あの画像で見たような、胆汁農場で苦しんでいる熊たちのために何かしたいと。
文化の違いや、考え方の違い。そして何より、海外の話です。その国の人々の生きるための術も、尊重しなければいけません。それでも、もし変化の起こせる未来があるのだとしたら、私は狭い檻のなかで、痛みに耐えながら一生を終えるであろう熊たちに、闇のなかにいる熊たちに、光を与えるお手伝いがしたい。
それは、私を支えてくれたたくさんの人たち、犠牲になった動物たちの命、これらすべてのことを、忘れないためでもあります。
私自身、助けてもらった命です。すべてに「ありがとう」という言葉では、とうてい表現できないほどの感謝の気持ちを、この活動に生かしたいと思いました。
これが、私がこの活動に関わることになったきっかけです。
実際、熊のために何かできることはないかと模索しましたが、胆汁農場とよばれているものは、主に中国とベトナムにあることがわかりました。
さらにいろいろ調べていくうちに、中国とベトナムで、胆汁農場から熊の保護活動をしている、アニマルズアジアの存在を知りました。海外にはあちこちにアニマルズアジアのサポートグループがあり、どのグループもそれぞれ、独自のイベントなどを開催して、アニマルズアジアへの寄付金を集めていました。
『私も日本において、できることはないだろうか?日本の方々が、中国やベトナムで(ベトナムでは、注射器での採取です)生きながらの胆汁採取に苦しんでいる熊たちのために何かしたいと思った時に、懸け橋となることができないだろうか?』
何度もアニマルズアジアの担当の方に質問をしました。私の細かな質問にも、アニマルズアジアの方々はとても丁寧に答えてくださいました。
そうして2015年秋に、日本初のサポートグループである、『アニマルズアジア サポートグループジャパン』を立ち上げることができました。